伊勢から広島まで岡山で食事をして、着いたのは夕暮れ時でした。
広島に来たら、厳島神社、尾道、呉など行きたいところは数多くあったが、時間と体力を考慮して、本来は原爆ドームも通りすぎる程度と考えていたが、やはり、戦争をした国、被爆国の国民としての責務と思っていました。
実際に見て、ほんとによかったと思います。
①原爆ドームとは
広島市中心にある、1945年(昭和20年)8月6日8時15分に投下された原子爆弾の悲惨さを今に伝える建造物(被爆建造物)である。
元は広島県産業奨励館で、お菓子などの販売だけでなく美術展なども行われた文化的ば所であった。
投下43秒後、爆弾は建物の東150メートル・上空約600メートルの地点(現・島内科医院付近)で炸裂し、建物は瞬時に破壊され、中にいた人達は全員即死したと推定されている。
1:映画「ひろしま」より
1953年の邦画。戦後間もない時期にひろしまの原爆投下、また原爆後の状況を再現された。
戦時下ではあるが、その時間は普通に生活が行われ、学校へ、仕事へ、そして一瞬にして奪われる視界、光、その後の惨劇、どこへ行っても地獄、地獄。そのあとは情報の錯綜、病気への不安。戦争が終わってからも続く辛い生活。戦後直後に作られた作品らしく、生々しさはダントツの戦争映画であった。
「一般市民はわからない、一般兵もわからない戦争に巻き込まれ、全員が不幸になる、それが戦争。」
2:映画「戦場のメリークリスマス」
大島渚監督の1983年の合作作品。デビットボウイに坂本龍一、ビートたけしが出演した。第二次世界大戦下のインドネシアのジャワ島、日本軍俘虜収容所を描いた。
大島監督も、坂本龍一教授も亡くなった。人はいつか亡くなる。それでも作品は残る、名作は残る。
偏った思想、人間としての尊厳と感情の破壊、本来は人種も国も関係ない、それを拒むのは戦争という境界線を生み出す狂気。瞬間的に見え隠れする普通の人としての在りよう、なんとも言えないビートたけしの笑顔の「メリークリスマス」のセリフ。戦時下、そして、戦争後、兵士たちは何のために戦い、何のために生きたのか。坂本龍一の名曲ととともに、いまも自分の心に問い続けている。
「狂った世界に正しさなんてない。それを狭い世界、個性的な4人で鮮烈に描き出した。なんといっても名曲と頬キスとたけしのラストカット」
②現代の戦争映画から
台湾などすぐ近くにいまそこにある危機が迫っていて、ロシアとウクライナの戦争は長く続いていて終わりはまったく見えない。フィンランドのNATOへの加入があり、世界の戦争状態、戦争危機はより危険度を増している状態だ。
1:映画「ゼロ・ダーク・サーティ」
ウサーマ・ビン・ラーディンの殺害を実話を元に描いた2012年のアメリカ作品。
信じて招きいれた情報屋の自爆テロなどがありながら、執念で探し当てて殺害に至る。でも、結果としてはそれは何をもたらしたのだろうか?戦争が無くなった?アルカイダがなくなった?過激派がいなくなった?そんなことはない。なにかが弱まれば何かが台頭し、差し替わるだけ。頭がいなくなれば、次が出てくるだけ、さらなる恨みを強くして。攻撃はさらなる攻撃しか生まない。テロ行為、911は許されない行為だ。だからといって、敵を討つことが正当化されるわけではない。終わったあとにこそ問題が提起されている作品だった。
2:映画「ロシアンスナイパー」
2015年のロシアとウクライナ合作作品。第二次世界大戦中の女性スナイパーを描いた。
戦争前に見た感想は「近代歴史としての貴重さ、どこの国も自分のため、仲間のために戦っているだけ」と過去のものとしてとらえて見ることができた作品だったが、今は正直見ることができない。戦争を仕掛けた国に同情の余地はない。たとえそれが前線の兵士は仕事として命令としてしているとしても。
僕には戦時下の軍人の言葉を美化して、今も語る人にはまったく賛同できない。戦争をやめさせた人の言葉ならば尊敬できるが、どのように言葉を発しても戦争したことには変わりはない。その言葉で亡くなった人がたくさんいるから。
はだしのゲンは、授業中は難しくても、子供たちには読んでほしい作品です。
まとめ・感想
人はいつか亡くなる。でも戦争なんていう人災で失うことはあってはならない。人が起こすことは人が止めることができると信じています。
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